数々のヒットソング
ホセの音楽シーンにおける最初のチャンスは、スペイン語圏マーケットにおいてであった。1966年、アルゼンチンはマル・デル・プラタでの公演の後、ブエノスアイレスのRCAディレクターの考えで、ホセはアルゼンチンに留まりスペイン語のアルバムを録音することになった。「とはいえ、どんな内容のレコードを製作するか、誰もアイデアを持ってなかったんだ」とホセは回想する。「それで僕は、自分が幼い頃に親しんだ歌、ボレーロをとりあげてはどうかと提案したんだ」。ホセが歌い演奏する懐かしのボレーロは素晴らしいものだった。ファーストシングル「Poquita Fe」はスマッシュヒットとなり、「Usted」はさらに大きなヒットとなった。
ホセは往年のスタンダード曲をとりあげ、それらに新しい生命を吹き込んだ。10代の頃に身につけたR&Bやカントリー、ジャズ感覚が入り交じる変幻自在なボーカルによる至極のメロディーとクラシックギターという独自のスタイル。ホセの音楽性は当たり、彼はまたたくまにティーンのアイドルとなった。ホセが空港に到着したり、ホテルや街から発つとなると、そこには大勢のファンが集まり大混乱である。そして、さらに2枚の同じスタイルのアルバムが発売されるに至り、ホセ・フェリシアーノの名は南米から中米、メキシコ、カリブ諸国に知れ渡ることとなった。
中南米での成功後アメリカに凱旋したホセに、RCAのディレクターはプロデューサーのリック・ジャラードを引き合わせた。リックは最近のホセのコンサートで演奏を耳にした曲、ドアーズの「Light My Fire(ハートに火をつけて)」のレコーディングを提案した。
23才までにホセは、5つのグラミー賞ノミネートと、アルバム『Feliciano!』で2つのグラミーを受賞、世界各国で公演し、4つの言語でレコードを発売していた。しかしそれで満足することはなかった。ホセは役者にも挑戦しようと思い、その後の数年でいくつかのテレビドラマ――『燃えよ! カンフー』、『署長マクミラン』、『チコ・アンド・ザ・マン』などに出演を果たした。「とても楽しい経験だったよ」とホセは回想する。「でも、僕はミュージシャンなんだ。そう、言うまでもなく、ミュージシャンなんだよ」
ホセを語る上で欠かせない楽曲が3曲がある。ひとつは「Light My Fire(ハートに火をつけて)」。1968年にポップスチャートでトップ1を獲得した曲であり、この曲の出版社の言葉を借りれば、ホセの演奏がこの曲をスタンダードと呼ばれ得るものに変えたのである。そして次に、ヨーロッパ、アジア、南米で大ヒットした「Che Será(ケ・サラ)」。それからもちろん「Feliz Navidad(フェリス・ナビダー)」をはずすことはできない。今では毎年クリスマス・シーズンになると世界中で耳にする定番ソングであり、ASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)による「今世紀の偉大なホリデーソング25曲」に選出されたこともあり、現在iTunesでもダウンロードが絶えない人気曲だ。
他にもたくさんのホセの曲が世界中で親しまれている。日本でもヒットした「Rain(雨のささやき)」、テレビドラマ主題歌「Chico and the Man」、ママス&パパスの「California Dreamin’」、「Destiny」、ジョージ・ベンソンもとりあげた「Affirmation」、「Ay Cariño」、「Ponte A Cantar」、「Cuando El Amor Se Acaba」、「Porque Te Tengo Que Olvidar?」等々、あげればきりがない。その多くはホセのオリジナル曲である。1995年にホセはアカデミー賞受賞映画『ファーゴ』に特別出演し、オリジナルナンバー「Let’s Find Each Other Tonight」を披露している。パフォーマーとしてはもちろんのこと、ホセのコンポーザーとしての大きな才能を示す1曲である。