楽譜『港が見える丘 ギターソロ 西川恭・編』G&M刊
◎演奏形態:ギターソロ、ギター独奏
◎頁数:A4サイズ 計7ページ
・五線譜:3ページ
・五線譜+タブ譜:4ページ
◎ご購入は以下の店舗またはオンライン楽譜サイトでどうぞ
1947年(昭和22年)作詞・作曲:東辰三
うつくしくも憂いのあるメロディーとゆったりとしたスウィングのリズムでつづられるロマンティック・ブルース歌謡。戦後日本にあたらしい流行歌のスタイルをしめした名曲です。
昭和20年の東京大空襲で壊滅的な被害をうけていたビクター社にとって、戦後復活の第一弾作品。同社の新人歌手募集で3000人の応募者からえらばれた平野愛子さんがうたいました。詞・曲にマッチしたあじわいと格調のある歌声により、「港が見える丘」は戦後のビクターの復活を象徴する大ヒット作品となりました。
作詞作曲をてがけた東辰三氏〈1900年(明治33年) – 1950年(昭和25年)〉は兵庫県出身(※注)の作詞・作曲家。戦前の日本に和製ポップスの礎を築いた歌手・作曲家の中野忠晴氏のスカウトにより、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズに参加。グループ解散後に作詞作曲の能力をみこまれてビクターに入社します。
注:神戸の商業高校をでていることははっきりしていますが、ご実家は東京・深川で製材業を営んでいたそう。深川にちなんで筆名を「辰三(たつみ)」としたという記述(江東区ふれあいセンターのウェブサイト内)もあり、ひょっとすると生まれは深川なのかもしれません。明確な出生地はわかりませんでした。
当時としてはめずらしく、作詞と作曲の両方をおこなうスタイルの流行歌作家でした。「港が見える丘」「君待てども」など平野愛子さん歌唱の名曲を発表しますが、昭和25年に50歳という若さで亡くなります。もしながく生きていれば、さらにおおくの名曲をのこし、昭和20〜30年代の歌謡界をモダンな和製ポップスでいろどったことでしょう。
以下追記:2021.04.16
配信でこの曲をとりあげるにあたって、あらためて平野愛子さんの歌唱音源をじっくりときいてみました。その際にこの歌の歌詞についてはじめての気づきがあったのでここに追記します。
一番:船の汽笛むせび泣けば チラリホラリと花びら
二番:船の汽笛消えてゆけば チラリチラリと花びら
三番:船の汽笛遠く聞いて ウツラトロリと見る夢
各コーラスのこの部分、聴くものの聴覚・視覚をスローモーションの世界へと一気にいざなう、この歌のなかでも特徴的な行です。今回、このカタカナの部分でどうも平野愛子さんはつぎのようにうたっていることに気づいたのです。※三番は上記と同じです。
一番:船の汽笛むせび泣けば チラリホロリと花びら
二番:船の汽笛消えてゆけば キラリチラリと花びら
あらためてこの歌詞の深淵さを感じました。このカタカナ部分はただ単に花びらを形容するものではなく、「私」の心のありようを花びらにかさねて言いあらわすこの歌のまさしく“肝”だったのです。一番では心がゆれうごく“ホロリ”、二番では涙の“キラリ”。これが花びらの“チラリ”とオーバーラップするわけです。
形式としても、一番から三番まで《三文字+異なる三文字》という共通の形におさまることになり、うつくしい。
チラリホロリ、キラリチラリ、ウツラトロリ。さりげなくもじつに巧みなこれらのことばによって、汽笛と花びらと人の心とがかさなりあう名シーンが生まれています。