懐かしい歌をギター生伴奏で

青木光一さんの代表曲のひとつです。

曲名右の  ボタンから演奏動画を視聴できます。

柿の木坂の家

 
1957年(昭和32年)青木光一
作詞:石本美由起
作曲:船村徹

春には 柿の花が咲き
秋には 柿の実が熟れる
柿の木坂は 駅まで三里
思い出すなぁ ふるさとのヨ
乗合バスの 悲しい別れ

春には 青いめじろ追い
秋には 赤いとんぼとり
柿の木坂で 遊んだ昔
懐かしいなぁ しみじみとヨ
心にかえる 幼い夢が

春くりゃ 偲ぶ馬の市
秋くりゃ 恋し村祭り
柿の木坂の あの娘の家よ
逢ってみたいなぁ 今もなおヨ
はた織りながら 暮していてか

 

作曲家の船村徹さんは昭和30年の「別れの一本杉」(キングレコード)の大ヒット後、コロムビアレコードに移籍。昭和31年、盟友・高野公男さん作詞の「早く帰ってコ」を青木光一さんに提供、これがコロムビアでの船村徹デビュー作品です(同年、作詞家・高野公男さんは他界しています)。

翌昭和32年発売の「柿の木坂の家」は大ヒットとなり、今では青木光一さんの代表曲のひとつですが、当時は同時期に発表された「二代目船長さん」(作詞・作曲は同じく石本美由起/船村徹)の方がすぐに人気を得たようで、同年初出場を果たしたNHK紅白歌合戦では「二代目船長さん」を歌唱しています。

「二代目船長さん」については資料・情報がほとんどなく、こちらのかたのブログが唯一当時の雰囲気をおしえてくれます。
歌麗なる明け暮れを… | 柿の木坂の家:青木光一

なるほど「柿の木坂の家」の方はどちらかといえばじわじわと人気が広がっていったのですね。船村徹さんの作曲家としての人気・知名度が上がっていくにつれて、決して派手ではないこの歌の名曲性が認知されていったということなのでしょう。それはまた、都会で暮らす地方出身の者たちの心に“望郷演歌”がゆっくりと浸透していったことのあらわれとも言え、故郷への想いを作品のベースとした故・高野公男さんの意志が継がれていることも感じられます。


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2021/05/06(木)