サトウハチロー氏のエッセイ『見たり聞いたりためしたり』を映画化した作品の挿入歌です。エッセイは昭和21年から10年にわたって新聞「東京タイムズ」で毎日連載されました。
曲は服部良一氏のアメリカ音楽に対する深い造詣と無邪気な憧憬がそのまま体現されたような、ミディアム・スローテンポのラブソングです。もしこの曲がラジオから英語歌詞で流れてきたら、ジェローム・カーン作曲のスタンダードナンバーかしらと思う人がいてもおかしくはないでしょう。
服部良一氏はこの歌の誕生にまつわる興味深いエピソードを自叙伝で綴っています。
昭和22年の早春、服部良一氏が兼六園周辺を歩いている時にふたつのメロディーが浮かび、それが「胸の振子」と「東京の屋根の下」だったのだそうです。戦中の表現活動の制約から解放された天才作曲家の頭の中から、とめどなくリズムとメロディーがあふれだすさまが見てとれるようなお話です。
また「胸の振子」はディック・ミネ、「東京の屋根の下」は灰田勝彦と、それぞれに歌い手のイメージも明確にあったものの各々レコード会社との専属契約(服部氏はコロムビア、ディック・ミネさんはテイチク、灰田勝彦さんはビクター)の関係上かなわず、「胸の振子」は霧島昇さん(コロムビア)が歌唱することになったという経緯があったといいます。
金沢で生まれた服部メロディーということで金沢蓄音器館のウェブサイトにも、この2曲にまつわる館長のエッセイが掲載されています。こちらで触れられている、自身にとって新境地となるこの歌の録音に臨む霧島昇さんの想いも興味深いものがあります。
【参考サイト/参考文献】
金沢蓄音器館の「館長ブログ」その111「新しい風は金沢から」
『ぼくの音楽人生』服部良一・著(日本文芸社)