懐かしい歌をギター生伴奏で

サイックリング サイックリング ヤッホー ヤッホー! 思わず口ずさみたくなるフレーズです。

曲名右の  ボタンから演奏動画を視聴できます。

青春サイクリング

 
1957年(昭和32年)小坂一也
作詞:田中喜久子、日刊スポーツ新聞社
作曲:古賀政男

みどりの風も さわやかに
にぎるハンドル 心も軽く
サイクリング サイクリング
ヤッホー ヤッホー
青い峠も 花咲く丘も
ちょいとペダルで ひと越えすれば
旅の燕も ついてくる ついてくる
ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー

ゆこうよ君と どこまでも
はずむ銀輪 リズムに乗って
サイクリング サイクリング
ヤッホー ヤッホー
波もささやく 浜辺の道を
若い歌声 合わせて走りゃ
潮の香りが 夢を呼ぶ 夢を呼ぶ
ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー

夕焼け空の あかね雲
風にマフラーを なびかせながら
サイクリング サイクリング
ヤッホー ヤッホー
走り疲れて 野ばらの花を
摘んで見返りゃ 地平の果てに
あすも日和の 虹が立つ 虹が立つ
ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー

 

昭和31〜32年に“サイクリング・ブーム”がありました。

京都産業大学の上野継義教授の「わが国サイクリング史の一断面」によれば、“サイクリング”という語は「それまではごく一部のサイクリストと自転車業界人の間だけで通用していた言葉であったが、 この時一気に人口に膾炙するところとなった」のだそうです。

青春サイクリング」のヒットもこのブームの象徴のひとつ。というよりも、そもそもこの曲が作られたのがサイクリング普及活動の一環だったともいえます。

レコードジャケットに明確に記されてはいませんが、こちらのYouTubeの概要文によると、この曲は日刊スポーツ社と丸石自転車(現・丸石サイクル)とのタイアップで制作されたとのこと。いわばサイクリング文化普及のための“PRソング”です。作詞者の田中喜久子さんにこの歌以外の作詞の記録がみあたらないことから推測するに、歌詞は公募だったのかもしれません。

作曲は古賀政男氏に依頼、歌うは“元祖和製プレスリー”の大人気歌手・小坂一也さんとなれば大きなPR効果が期待できます。

なにより効果的だったのは「サイックリング サイックリング ヤッホー ヤッホー!」という明るく耳に心地よいフレーズ、思わず口ずさみたくなる一節だったのではないかと想像します。ブームの生成には、言葉やイメージがひとり歩きして無関係の人々の間にも浸透していくという側面が欠かせないものです。

さて、ふたたび先述の「わが国サイクリング史の一断面」によると、このサイクリング・ブームは「業界人の期待を裏切り、『線香花火』のごとくまたたく間に消えてしまった」のだとか。価格の問題、乗車マナーや事故等の多発など、ブーム衰退の原因はさまざまな面から分析できるようです。

いずれにしても、過ぎ去ったブームの後に“サイクリング”の語だけは残りました。その意味で、昭和32年を“サイクリング元年”と呼びたいと思います。

ちなみにこの前年、昭和31年2月には岡本敦郎さん歌唱の「自転車旅行」(作詞:丘十四夫 作曲:小浜英夫)が発売されています。こちらは雑誌「平凡」により一般から曲を公募して作られました。この歌にはまだ「サイクリング」の語は使われていません。

【参考文献】
上野継義「わが国サイクリング史の一断面 : 鳥山新一のサイクリング哲学とその歴史的背景」『京都産業大学論集. 社会科学系列』第31巻


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2023/04/13(木)