近年の歌集には副題として「敦盛と忠度」としるされていることがありますが、じつはそもそもはこちらのほうが正式な題名だったということです。
この歌は明治39年、作曲家・田村虎蔵が中心になって編纂した『尋常小学唱歌 第四学年 上』で発表されました。そのときのタイトルは「敦盛と忠度」でした。そののち、昭和2年に田村虎蔵・編『検定唱歌集』に掲載する際に「青葉の笛」とタイトルをかえたという経緯があるようです。
※ちなみに“尋常小学唱歌”というと、明治43年『尋常小学読本唱歌』と翌44年『尋常小学唱歌』という文部省の編纂による唱歌集がありますが、上記、明治39年の田村虎蔵ら編による『尋常小学唱歌』は同名ながらそれらとはことなるものです。“文部省の編纂による”唱歌教科書に掲載された歌がいわゆる「文部省唱歌」とよばれますので、田村虎蔵作の歌は「教科書の歌」「唱歌」ではあれど「文部省唱歌」ではありません。一般的には「学校で習う歌=文部省唱歌」という広い定義でとらえられてもいますが、下の動画内での「文部省唱歌」というクレジットは厳密にはあやまり。
歌詞の内容は平家物語がベースになっています。もともとの正題「敦盛と忠度」がしめすとおり、一番では一ノ谷の戦いにおける平敦盛の最後の場面が、二番では平忠度の最期がえがかれています。笛の名手だった敦盛の最後の場面ではかなしい笛の音(ね)が、すぐれた歌人だったといわれる忠度においては和歌が、それぞれ象徴的に登場します。
「青葉の笛」という昭和2年以降のタイトルがしめすのは一番・敦盛のことがらだけで、二番・忠度の“花や今宵の歌”のシーンはふくまれてはいません。けれども、この歌の最大のテーマがかれらふたりへの哀憐の情感だとするならば、それを象徴するひとこととしての「青葉の笛」に改題したことにはじゅうぶんに納得できます。