明治40年に『中等教育唱歌集』に掲載されたいわゆる翻訳唱歌です。原曲はアメリカの医師/作曲家ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)が1868年に発表した歌曲「Dreaming of Home and Mother」。
日本語歌詞を書いた犬童球渓さんは熊本県人吉市出身。東京音楽学校を卒業後、音楽教師として各地を転々。新潟の女学校に勤務しているころに、故郷をはなれた自分の心情にかさねて「旅愁」の歌詞を書いたそうです。この歌が掲載された『中等教育唱歌集』には、球渓さんによる訳詞で「故郷の廃家」(こちらも原曲はアメリカの歌曲)も含まれています。
2022年2月20日におこなわれた北京冬季オリンピックの閉会式では、この曲が印象的につかわれる演出がなされていました。なぜ「旅愁」が?! と気になり調べてみると、中国ではこの曲は「送別」の題で、友人とのわかれを惜しむ歌詞がつけられているということです。
中国語歌詞と意味は以下の通りです。
長亭外,古道邊,芳草碧連天
晚風拂柳笛聲殘,夕陽山外山天之涯,地之角,知交半零落
一瓢濁酒盡餘歡,今宵別夢寒町はずれの、古びた道には、草花の緑が、地の果てまで続いている。
夕方の風が柳の枝を揺らし笛の音はだんだんと消えてゆき、夕日が奥山に沈もうとしている。天の涯て、地の果てにて、友人ももう半ばは亡くなっていよう。
一杯の濁醪(どぶろく)で、最後の名残の楽しみを尽くそう。
今夜は、別れを告げた後の眠りなので寒々としていよう。※歌詞と対訳はウェブサイト「詩詞世界」より
中国語の作詞をしたのは中華民国の詩人/禅僧/芸術家である李叔同(1880 – 1942)さん。弘一法師ともよばれています。
かれは1905〜10年頃、西洋画を学ぶために日本の上野美術学校に留学しており、その時期に唱歌「旅愁」に触れて感銘をうけ、日本語歌詞を中国語に訳していたのです。そして中国へ帰国後の1915年、友人とのわかれの実体験をもとに「送別」というあたらしい中国語歌詞をつけたというのが、中国語版の「旅愁」=「送別」が誕生した経緯のようです。
この「送別」は1920〜40年代にかけて、中国では卒業生を見おくる歌としてうたわれるようになりました。李叔同さんは中国に帰国後、教師として音楽・美術・文学などを教えていたので、学校でうたわれる歌として定着したのかもしれません。その後はあまりうたわれない時期もあったようですが、1983年公開の映画『城南旧事(邦題:北京の思い出)』で主題歌としてつかわれたことをきっかけにふたたび脚光をあび、現在もおおくの人々にとってのフェアウェルソングとして親しまれています。