作曲家・服部良一氏は昭和12年のこの曲で、“日本のブルース”という独自のスタイルを確立し、大ヒット作曲家としてのスタートを切りました。その意味で「別れのブルース」はいわゆる“服部メロディー”の記念碑的な曲といえます。
服部氏はこの歌を、はじめから淡谷のり子さんの歌声をイメージして、いわゆる「あて書き」をしていました。ところが淡谷のり子さんの方は、ソプラノの自分はこんな低音では歌えない、と不満だったといいます。
服部氏がそれでも無理を強いて、本来ソプラノの美声が売りものである淡谷さんに低音で歌わせたのは、彼女の哀愁ある歌声こそが“日本のブルース”を体現する魂の声なのだと信じていたからなのでしょう。
クラシック歌手として「十年に一人のソプラノ」と呼ばれ、流行歌の世界に移ってからは、日本の女性歌手としてはじめてジャズソングを歌い、タンゴやシャンソンの名唱も数知れず。その淡谷のり子さんは「別れのブルース」によって“ブルースの女王”の称号も手に入れました。彼女の歌手人生にとっても大きな意味を持つ歌であったにちがいありません。
作詞家・藤浦洸氏は当時、コロムビア文芸部長の秘書というある意味曖昧な立場でしたが、この曲のヒットを機にコロムビアの専属作詞家となり、そのモダンでお洒落な作風で服部氏とのコンビによる数々のヒット(一杯のコーヒーから ほか)をはじめ、美空ひばりさんの初期作品(悲しき口笛、東京キッド ほか)、二葉あき子さんの「水色のワルツ」などを手がける流行作詞家となりました。
【参考文献】
『ぼくの音楽人生』服部良一・著(日本文芸社)
『評伝 服部良一』菊池清磨・著(彩流社)
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