ひさしぶりに故郷に戻ってみると、のどかな山や川は昔のままだけれど、誰もいなくなった我が家はすっかり荒れ果ててしまっていた——。そんな、懐かしさと寂しさのいりまじった、なんとも言えない心模様が描かれています。
《更けゆく秋の夜〜》の「旅愁」がよく知られている犬童球渓さんによる日本語歌詞です。歌詞の内容は全体として概ね元の英語歌詞をふまえた訳詞になっています。訳詞とは言っても逐語訳ではなく、風景描写も使われる言葉も日本人の情緒に馴染みやすい自然な日本語表現に変換されています。これにより「旅愁」も「故郷の廃家」も、わたしたちは外国曲という意識をほとんど持つことなく、“日本のうた”として愛唱してきたのだと思います。
原曲はアメリカの詩人/作詞家/作曲家であるヘイスが1872年に発表した「My Dear Old Sunny Home」。次のように始まる英語歌詞にも、すっかり変わってしまった故郷の姿に絶望にも近い寂しさを覚え、そこに別れを告げる語り手の姿があります。
My Dear Old Sunny Home (1872 W.S.Hays)
Where the mockinboird sang sweetly many years ago.
Where the sweet magnolia blossom grew as white as snow.
There I never thought that sorrow, grief nor pain could come,
E’er to crush the joy and pleasures of my sunny home.
Oh! I’m weeping, Lonely I must roam.
Must I leave thee, Dear old sunny home?
かつては聞こえていた 小鳥のやさしいさえずりが
ここには咲きほこっていた 雪のように白くかわいらしい花が
こんな痛みと悲しみを味わうことになるなんて
あたたかな故郷の楽しい想い出がうちくだかれるなんて
ああ、涙にぬれて ひとりさまようばかり
さようなら 愛する古き良きわが家よ
熊本県人吉市出身の犬童球渓さんは、故郷を離れ、1905(明治38)年に東京音楽学校を卒業後、音楽教師として、20代なかばの時期を兵庫、新潟などで勤務しました。「旅愁」「故郷の廃家」の歌詞には、この頃の自身の郷愁の想いが重ねられているようです。
これら2曲ほど有名ではありませんが、球渓さんによる翻訳唱歌に「秋夜懐友」があります。こちらは1914年(大正3年)に『尋常小学唱歌』に掲載。秋の月を眺めながら懐かしい友を思い出す、というやはりノスタルジックな日本語歌詞です。
※ちなみに「秋夜懐友」の原曲はイギリスのライトン作曲の「Her Bright Smile Haunts Me」。《おぐらき夜半をひとり行けば》で始まる唱歌「暗路(ほととぎす)」の歌詞(近藤朔風・作詞)で知っているというかたが多いかもしれません。
これら現在まで愛唱される犬童球渓作品からは、いずれも氏の繊細な心根の投影が見てとれます。熊本県人吉市のホームページ内にも球渓さんの生涯についての記述があり、故郷への想いに生きた犬童球渓という教師/音楽家の姿がよくわかります。