懐かしい歌をギター生伴奏で

題名は「七里ヶ浜の哀歌」ですが、次第に歌い出しの「真白き富士の根」で呼ばれるようになりました。

曲名右の  ボタンから演奏動画を視聴できます。

真白き富士の根

 
1910年(明治43年)
作詞:三角錫子
作曲:ジェレマイア・インガルス

真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
かえらぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力も尽き果て 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ヶ浜辺

み雪はむせびぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよいずこに 迷いておわすか
かえれ早く 母の胸に

 

鎮魂の抒情歌としてこんにちまで愛唱されているこの歌が作られた背景については、逗子市立図書館による以下の文書を引用します。

1910(明治43)年1月23日、逗子開成中学校生徒11名と逗子小学校児童1名を乗せたボート「箱根号」が許可なく葉山を出艇し、七里ヶ浜の行合川沖で突風に煽られ転覆した。(中略)事故発生から4日後の1月27日までに遭難者全員が遺体で発見される、という最悪の結末となった。

12名の若い命が失われた痛ましい事故に対し(中略)2月5日久木妙光寺、翌6日逗子開成中学校庭にて、田邊校長らを中心に大追悼会が催された。三角錫子作詞「ボート遭難の歌(真白き富士の根)」が鎌倉女学校の生徒によって歌われたのはこのときであった。

〜逗子市立図書館
図書館探偵 レファレンス事例 No.9(2015年9月発行)

この歌の旋律は、1890年(明治23年)に「夢の外(ゆめのほか)」として発表(作詞:大和田建樹)された唱歌です。さらにその唱歌の元になった曲は、アメリカ人ジェレマイア・インガルス作曲の賛美歌であることが賛美歌研究者・手代木俊一氏や国文学者・遠藤宏氏によって明らかになっています。


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2023/03/31(金)