昭和17年の最初の発表時には、敵性的な音楽であるという理由で発売後すぐに発売禁止となってしまいました。
実はこの歌の前奏・間奏には作曲家・米山正夫氏のアイデアで、ドイツの作曲家アイレンベルクの「Die Mühle im Schwarzwald」(森の水車、という意味)の旋律が引用されています。
これは同盟国であるドイツの音楽を使った検閲対策の意味もあったようですが、残念ながら昭和17年の最初の発表時には、敵性的な音楽であるという理由で発売後すぐに発売禁止となってしまいました。
米山正夫氏は戦後、親友である歌手・近江俊郎さんの紹介をきっかけに『NHKラジオ歌謡』で「山小舎の灯」(この曲も昭和17年に規制により発売がかなわなかった経緯があります)がヒットし、「森の水車」も再び日の目を見ることになります。その後は美空ひばりさんの作品をはじめ、多くのヒット作を手がけていきます。
世界各国の音楽、日本の民謡など、様々なジャンルやリズム要素を織り込んだ親しみやすい流行歌作りが、米山正夫氏の作風の特徴だと言えます。