作曲家・服部良一氏は戦前、淡谷のり子さんの「別れのブルース」「雨のブルース」をはじめ、ブルースやタンゴ、ルンバなど欧米のスタイルを取り込み、“和製ポピュラー音楽”の礎を築きました。
戦後、様々な制約(戦中は敵性音楽として排除されていた)から解放された服部氏が押し出したのが和製“ブギウギ”でした。
「ブギウギ」とは1920年代頃にアメリカで生まれた音楽スタイルです。すでにあった「ブルース」と呼ばれる音楽をベースにその演奏バリエーションとして発展し、特徴である跳ねるようなリズムは後にカントリー・ミュージックやロックンロールにも影響を与えます。
ブギウギは元々その軽快なテンポ感などから明るい気分をかき立てられるうえ、聴衆と一体となって奔放にステージをかけまわる笠置シヅ子さんのパフォーマンスのイメージも掛け合わされ、聴く者は歌詞のとおり、ブギウギ=ウキウキ、であることを体感します。
「大阪ブギウギ」「買物ブギ」などのヒットも続き、笠置シヅ子さんは“ブギの女王”と呼ばれ一世を風靡しました。
「東京ブギウギ」のメロディーは、服部良一氏が「胸の振子」のレコーディング帰り、中央線に揺られるうちに、その振動がいつしかブギのリズムとなって感じられ、そのリズムと共にメロディーが浮かんできたのだといいます。そして、西荻窪で下車(※当時、氏は西荻・松庵に住んでいた!)すると駅前の喫茶店『こけし屋』に飛び込み、紙ナプキンに音符を書きつけた、と。
このエピソードは服部良一氏の自叙伝『ぼくの音楽人生』(1982初版/2023復刊)に触れられています。件の喫茶店『こけし屋』は、今でも「西荻窪と言えば…」というべき西荻の象徴的な存在ですが、現在はビル建て替え中のため休業中です。